Cafe Panic Americana Book Review

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書評『環大西洋の想像力—越境するアメリカン・ルネサンス文学』 評者:濟藤葵(慶應義塾大学大学院博士3年)

国家の枠組みとは何か

 

昨今のニュースからも推察されるように、島をめぐる領土問題は、決着がつきがたい頭を悩ます問題のひとつである。たとえば、日本と、中国、韓国、ロシアといった周辺諸国との衝突や、各国による領土認識の差がたびたび報道される。国境がこれほど恣意的に線引きされてしまうのならば、国家の枠組みとは非常に脆弱なものである。

F・O・マシーセンは、エマソン、ソロー、ホーソーンメルヴィル、ホイットマンの五人の作家の文学作品が「国家としてのアメリカの独自性」や「アメリカの民主主義を体現するものであった」ということを示した。本書『環大西洋の想像力―越境するアメリカン・ルネサンス文学』(竹内勝徳、高橋勤編)は、マシーセンが選んだ五人の作家たちが「実はきわめて越境的な想像力を持つ人々であった」ということに注目し、これまで前提とされていたマシーセンの「アメリカン・ルネサンス」の概念を再考する。

本書は、トランスナショナリズムの権威であるポール・ジャイルズ氏による2011年の貴重な来日講演記録から始まる。本書はまさに、「国境を越えて他者の視点や価値観を想像すること」で、「国家がより柔軟な枠組みとしてとらえ直される」というジャイルズ氏によって定着した考えが凝縮した論文集である。本書は、第一部「大西洋世界の旅と交易」、第二部「ニューイングランドの変容」、第三部「国家とエスニシティ」から成り立つ。第一部は、メルヴィルの『白鯨』と『イスラエル・ポッター』を身体という観点から読み直す西谷拓哉氏の論考から幕を開ける。加えて、ポーの『アーサー・ゴードン・ピムの物語』における食の描写に焦点を当てる高野泰志氏、エマソンの大西洋経済思想を主題とする竹内勝徳氏、ホイットマンによるニューオーリンズ滞在の影響について考察する飯野友幸氏の論文がつづく。ニューイングランド文学の変容をテーマに掲げる第二部には、エマソンの最初の妻であるエレンの埋葬とポーの「アッシャー家の崩壊」における埋葬を通して理性の枠組みを問い直す成田雅彦氏、英米両国の産業革命による社会変化がホーソーンの著作に影響を与えたことを指摘する村田希巳子氏、エマソンやソローの作品を用いながら奴隷制の議論と経済活動の変容との密接な関わりについて論じる高橋勤氏、ワーズワスの『抒情民謡集』を引き合いに出しホイットマンの詩を検証する阿部公彦氏といった興味深い論文が連なる。群島の特性が論じられている第三部には、ホーソーンのヨーロッパ体験が反映された『大理石の牧神』に登場するミリアムを人種的観点から読み解く稲冨百合子氏、メルヴィルの『クラレル』に描写された白人入植者と先住民との関係史に着目する大島由起子氏、マシーセンとチャールズ・オルソンの『白鯨』論を検討する井上間従文氏、メルヴィル、ソロー、エマソンの作品に見られるアイルランド移民表象を分析する佐久間みかよ氏といった読み応えのある論考が並ぶ。

本書は、マシーセンが選定した五人の作家―エマソン、ソロー、ホーソーンメルヴィル、ホイットマン―以外の作家も扱う。その中で印象に残った論文を、各部から一つずつ取り上げたい。第一部に収録されている城戸光世氏による「共和国幻想―マーガレット・フラーのヨーロッパ報告」は、フラーがアメリカ女性初の海外特派員として大西洋を横断し、海外から『トリビューン』紙に記事を送っていたことに着目する。城戸氏は、革命を支持し、アメリカ社会に対する批判の姿勢を見せたフラーのイタリア報告の重要性を指摘する。フラーと深いつながりがあり、彼女の影響を多大に受けたのが、ルイザ・メイ・オルコットである。第二部に収録されている「「新しい霊がぼくにはいって住みついた」―オルコット『ムーズ』とイタリア」において高尾直知氏は、オルコットの『病院のスケッチ』と『ムーズ』を取り上げ、両作品の中にいかにフラーの思想や理想が盛り込まれているかを看破する。第三部に収録されている小林朋子氏による「根なし草の夢想した解放―経路で読む『ブレイク、あるいはアメリカのあばら家』」は、ポール・ギルロイの2つのルーツ(「起源」と「経路」)を念頭に置き、黒人登場人物がアフリカへ帰還するストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』のアンチテーゼとして書かれた、マーティン・ディレイニーの『ブレイク』を扱う。小林氏は、主人公が、「人種で結ばれた黒人の起源の地点アフリカを目指すことによってではなく、グローバルにはり巡らされたネットワークを移動することによって、隷属からの解放を模索している」ことを丁寧に読み解く。

あとがきでも述べられているように、たしかに、環大西洋という切り口に光を当てられるようになって久しく、現在、環大西洋からさらに環太平洋へと批評の注目が移りつつある。しかし、この指摘は、いささかも本書の価値を減ずるものではない。大西洋を中心に据えながらも、パレスチナ、アメリカ南部、太平洋をも射程に入れた本書は、アメリカン・ルネサンスの専門家だけでなく、昨今のニュースを通して国家の枠組みを再考する人々にとっても、ぜひ手にとって欲しい一冊である。